|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月31日 ワールド 2014年ワールドカップ欧州予選の組み合わせが決定 FIFAは30日、2014年ワールドカップの出場権を懸けた各大陸予選の組み合わせ抽選を行いました。欧州予選は、6ヶ国構成のグループが8つと、5ヶ国構成のグループが1つとなる。出場枠は13で、各組首位の9ヶ国が本大会出場権を手にし、各組2位のチームのうち、成績上位8チームがプレーオフに進出となり、残りの4枠を懸けて戦う。グループIが5ヶ国しかないため、プレーオフ進出チームの決定は、 各組とも最下位チームとの対戦成績をのぞいて計算される。 欧州予選の組み合わせは、以下のとおり。欲を言えば2グループほどでピツルカ建て直し政権の勢いがつけば首位すら狙えそうな最弱グループがありますが、全体を見て4ポッドとキツい枠でありながらルーマニアにとっては可能性のある良い組み合わせだと思っています。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月30日 ドイツ マリカは強豪シャルケへ入団 ![]() マリカは2007年からシュツットガルトでプレーしていましたが、ブルーノ・ラッバディア監督との関係に亀裂が生じて、シーズン途中から飼い殺し状態にあり、約2週間前に双方の合意の下で契約を解除していました。実際のところはマリカがシーズン終了後の契約満了でのフリー移籍を狙って、延長合意しなかったことからのゴタゴタとも言われています。 マリカをシュツットガルトに導いた過去があるシャルケのホルスト・ヘルトSD(スポーツディレクター)は、クラブの公式サイトで次のように語っている模様。 『チプリアンは我々の計画に合った選手だ。彼はブンデスリーガをよく知っていて、いくつかの言語を使える。フリートランスファーでの獲得だ。ヨーロッパのいくつかのビッグクラブが彼に強い関心を示していた。その彼を獲得できて満足している。』 マリカはシュツットガルトの4年間で93試合19得点、以前のシャフタルでもFWとしては十分とは言えないゴール数に留まっています。しかし今回もフリーとはいえ、シャルケの他にもブラックバーンやガラタサライなど有力クラブからのオファーが耐えない存在で、得点にだけに留まらないチャンスメイクやアシストに注目が集まっています。 代表ではクラブとは別人のように得点を決めることから、とにかく所属クラブで安定さえしてくれれば、これからも貴重なコマとして予選で活躍してくれることでしょう。 ・ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月27日 ブカレスト![]()
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月25日 スコットランド ゴイアンは酷評のイタリアからスコットランドへ ![]() ゴイアンは国内ステアウアでチャンピオンズリーグも経験し、国内では敵無しの能力を誇ったセンターバックで、代表では2008年欧州選手権を戦うピツルカ政権において一気に台頭しました。安定したタマシュとのコンビでキヴのMFコンバートを可能にし、セットプレーでの貴重な得点源としてのオプションもあり、首位通過を決めるオランダ戦での決勝点が印象深いです。 しかし大会後はタマシュ同様に集中力がなくなり、ようやく移籍できたパレルモでもプレーの質が問われて絶対的なスタメンという地位は築くことはできませんでした。ここでいったんレベルを少し落としてスコットランドというのも悪くはないと思います。世代交代が進む代表では出番は少ないと思いますが、かつて知った選手の起用は積極的におこなうピツルカの再任で、コチシュ、オヴィ・ペト、ゴイアンにも移籍を機になにがあるかわかりません。 『ここにこれてうれしい。レンジャーズのような歴史あるクラブの一員になれたことは大きな誉れです。レンジャーズはチャンピオンズリーグでもコンスタントに出場している欧州有数のクラブです。そのようなクラブに興味をもたれて嬉しくないわけがありません。国を変える移籍は難しいものですが、ポジティブにチャレンジしていきます。』 また英国圏での移籍に障害としてつきまわる労働ビザですが、過去2年の代表試合において40%の出場をクリアしているゴイアンにとっては大丈夫のようです。ただ明日開催のチャンピオンズリーグ予備予選3回戦に間に合うかだけが心配のようです。 ・ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月23日 ギリシャ ラザールは国内で円熟し、次のステップへ ![]() 30歳のなるラザールは昨季も安定したプレーでラピドを支えていましたが、海外移籍を望んでいたためにシーズン終了後に切れるラピドとの契約を更新せずにいたところ、後半のチームから干され続けるといった制裁を受けていました。それに耐えてシーズン終了後にフリーとなりましたが、年齢がネックとなり移籍先を探すのに難航。そこに新しくPAOKの監督に就任した同郷のラディスラウ・ボローニが迎え入れる形でようやく国内脱出に成功しています。 ラザルは2006年を境に生え抜きで8シーズンに渡ってプレーしていたスポルツールからラピドへ移籍。スポルツールではチームスタイルがラン・アンド・ガンであったため、不安定にも1部と2部を行き来していましたが、常に2部では無敵、1部でも05/06シーズンに優勝に絡むなどセンセーショナルを起こすチームの心臓として高評価を得ていました。チームの経済的要因で4位ながら降格になったことをきっかけにラピドに移ってからも、その評価は下がることなく、ステアウアのラドイに代わる国内ナンバー1のボランチとして君臨。 しかし残念だったことは能力はありながら、全盛期も国内に留まったため、見栄えとして代表のスタメンにはあまり選ばれませんでした。記録したキャップは9と少ないですが、多くの召集を受けてサブに控えていたことは層の安心感を与えていたことは否めません。 ここまでラピドを支えてきた功労者に対する仕打ちとしてはクラブのレベルが問われます。全盛期を犠牲にして、年齢的にも喜んで送り出してあげるケースではないでしょうか。それでなければ「契約は常に更新され続けなければならない」ということになります。なぜ5年の契約期間をまっとうしてくれた、しかもその能力で貢献してくれたことの感謝がないのでしょうか。どうも契約期間前になったら、獲得にかかった資金を回収するべく、他チームへ移籍してクラブに移籍金を入れさせなければならない。フリーで移籍金無しで去るなんて言語道断という風潮が大きくなっていることは疑問です。 ・ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月23日 イタリア オヴィ・ペトレも中東を脱出か ![]() 『たくさんのオファーが来ていたけど、99%モデナで決まりだね。監督がかつて知ったクリスティアーノ・ベルゴーディなのも大きいし、特にルーマニア代表に似たチームカラーであることも理由ですね。モデナに興味を持ってもらったことは名誉だし、この交渉がまとまることを信じている。』 ペトレは若手の頃にナシオナルで台頭し、アヤックスのトライアルに合格するもクラブ間でまとまらずチャンスを逃しましたが、2003年に21歳ながらトルコの雄、ガラタサライに入団。同時に加入したブラトゥやタマシュが早々に脱落していく中で1シーズンを主力としてプレーしてチャンピオンズリーグにも出場。翌年の半ばにティミショアラへと放出されましたが、大型ボランチとして評価を上げてステアウアにステップアップしています。代表でも計算できる選手としてコンスタントに出場しながら、ステアウアでは3季連続でチャンピオンズリーグに出場し、2得点を記録。2008年欧州選手権には本戦メンバーに選ばれながら合同練習中のバレーボールでケガして帰国という珍事を起こしています。クラブの後半ではケガがちになり、代表も久しくなって存在が希薄になりながらも出場すれば活躍というする期待の中で、高額サラリーのため中東のアル・ナスルに去っていました。 イタリアへは2008年にトリノへ入団のチャンスがあったにも、恒例のジジ・ベカリの評価度外視の要求にて破談して以来のことになります。 ・ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月17日 ドイツ 移籍金フリーのマリカにシャルケが触手 ![]() マリカは昨シーズン途中にブルーノ・ラッバディア監督との口論が原因で、トップチームでの練習、試合への帯同をいっさい禁止されて、生殺し状態にあり、冬のシーズンでのロシアへの移籍が噂されていましたが、そのままシーズンを終えて合意の下にクラブを離れていました。新天地を探しているストライカーに、移籍金のかからないフリーなのも手伝って、シャルケのラルフ・ラングニック監督が目をつけたようです。 マリカは2007年にシャフタル・ドネツクからシュトゥットガルトに加入し、92試合で19得点を記録。今回の移籍には、マリカをシュツットガルトに連れてきたホルスト・ヘルト氏が現在シャルケのスポーツディレクターであることも関係していますが、狙っているフライブルクのFWパピス・シセや、スタッド・ブレストのMFノラン・ルーの獲得が難しくなっていることからの代替として、マリカが経済的にも手ごろだという認識が一番の理由でしょうね。 ・ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月4日 中国 ムレシャンよ、さらば!中国の長春亜泰と契約か ![]() 遠きリーグ、及びレベルが著しく劣る中国への移籍は代表へのチャンスが閉ざされること、一方としては現状のルーマニアリーグでの年棒よりはるかに高待遇を受けられることが広く知られています。簡単に言うと、「名誉より金を選んだ守銭奴」としてレッテルが貼られることになります。過去では若くしてディナモでリーグ優勝の立役者となり、代表デビューも果たしながら、翌シーズンに中国に渡ったダン・アレクサは国内に戻っても代表1キャップのまま全盛期を過ごしました。そして不調だったキヴやムトゥを蹴落として、その年のルーマニア最優秀選手に輝いたダンチウレスクの中国移籍はその称号をおとしめるものとして批難され、国内有数のゴールゲッターでありながら、代表は閉ざされました。国内に戻って活躍したとしても多くの代表監督はその過去の過ちを良しとはせず、選手は一時の選択に後悔することは必須。 今回のムレシャンの顛末においては、リーグ終盤での内規的イザコザで所属クラブのCFRと揉めて、リーグ連盟を介しての減棒撤回及び、紛争の収束がなされましたが、この時点でクラブもムレシャンも決別を決定。中国から金銭的に魅力のあるオファーに対して当初はムレシャンも家族の極東での生活、ようやく定着し始めた代表のチャンスを捨てることに強烈に拒否していましたが、最終的に合意することになったようです。その翻意のほどはわかりませんが、29歳であるキャリアの終盤であることぐらいしかないですね。 代表においては07年頃からポツポツと呼ばれていましたが、ラズヴァン政権終盤の守備的MF難にタイミング良く評価され、ここから構想内として定着する見込みは高かったものです。しかしながらネックと言えば好タイミングだったチャンスはピツルカ政権の発足によって、その年齢からの長期展望の戦力リストには載っておらず、ここが見定め時だとする本人の苦労は大変なものだったと理解できます。状況としてはアレクサやダンチウレスクと共に代表の門戸が拡大していくだろう中での「失意の中国渡航3戦士」と呼ばれていくことになりそうですが、年齢というネックが、再度長期展望で構築しなければならない代表にとってはしょうがないと言わざるを得ないです。現スタメン候補ですが、キヴ同様に世代交代のジレンマですね。 移籍金は100万ユーロで、ムレシャンは契約金50万ユーロと年俸50万ユーロを受け取ることになっています。ラズヴァンによってチャンスを与えられたのか、もっと早く起用するべきチャンスがあったのかわかりませんが、遅咲きという反面、最後に代表で一定の評価を得ることができたことを誇りにがんばって欲しいものです。 ・ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7月2日 ロシア コチシュが中東を脱出し、ロシアへ帰還 ![]() コチシュは2008年欧州選手権を戦うピツルカ政権でスタメンとして活躍。以降のラズヴァン・ルチェスク政権時は代表からも離れ、なんといってもロシアのロコモティヴから中東へ去ったことで終わった選手として認知されていました。しかしここにきて追い風なのはコチシュを重用するピツルカが代表監督に復帰。まっとうなリーグに戻ったことで代表の門戸も開かれたようです。 『ロストフと契約できてなによりです。ずっとロシアでプレーしていたことからこのクラブも選手たちもよく知っています。現在14位と苦しんでいるチーム状況ではありますが、まだまだチャンスはあると思います。』 またロシアへはステアウア・ブカレストのヤノーシュ・セーケイがヴォルガ・ニジニー・ノヴゴロドに移籍。現在12位の弱小チームで同郷のミハイツァ・プレシャンが在籍しています。 ・ |
バックナンバー | ||||||||||||
2011 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | ||||||
2010 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2009 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2008 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2007 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2006 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2005 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2004 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2003 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2002 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
2001 | / | / | / | / | / | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
戻る |