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4月30日 カウナス![]()
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4月30日 ブカレスト![]()
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4月22日 ブカレスト 永遠の右サイドバック ペトレスク引退 ![]() ペトレスクは80年代後半の世界的に強かったステアウア・ブカレストでデビューしてすぐに国内で輝かしい未来ある若手として成功。91年の国内リーグとカップの2冠を手土産にセリエAに活躍の場を求めて、変わらず評価され続けました。特にズデネク・ゼーマン監督率いるフォッジアでシニョーリ、シャリモフ、セーノらと「ミラクル・フォッジア」と呼ばれる大旋風を巻き起こした一員として確固たる地位を築いて、その後ジェノアでは1シーズンでカズの入団で外人枠のあおりをくらってシェフィールド・ウェンズディに放出されるもその後のカズの過大評価によるチームのB降格がその存在の大きさを表していた。その次に所属した強豪チェルシーではほぼスタメンで150試合に出場し、右MFとしても通用することを証明してプレミアどころか世界最高の右サイドプレイヤーとしての称号を得たのは本当に嬉しかったものです。ケガの影響でその後のブラッドフォードとサウサンプトンでは振るわなかったことが影響して、代表キャップは95で止まっていました。 ・ |
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4月22日 ブカレスト ラドイ放出へ秒読み ![]() しかし今回ステアウアのオーナーであるジジ・ベカリによればラドイの海外への挑戦の夢は今シーズン終了後に実現するだろうとのことです。 『ラドイについてはシーズン終了後に大金を見かえりに海外のクラブに放出するつもりだ。おそらくイタリアかドイツかスペインになるだろう。しかし放出する予定はラドイ一人だけだ。特に22歳以下の選手は放出するつもりはない。国内はもちろん、欧州カップも狙っていくには戦力を落とすわけにはいかん。』 またラピドのエースストライカーであるフローリン・ブラトゥを獲得することを明言しています。 ・ |
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4月20日 ブカレスト![]()
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4月9日 イタリア イタリア好きなストライカー 彼は先シーズンからデシャン監督の構想外となり試合には出場していません。もはやチームに所属しているかどうかすらわからない有り様でした。イタリアではバリ(90-91)、ヴェローナ(91-92)、ブレシア(92-93)、ACミラン(93-94)、ブレシア(98-00)とプレーしていました。 ・ |
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4月6日 イタリア セリエA 27節 パルマ 1-0 ACミラン ![]() エンニオ・タルディーニでのゲームは77分にアドリアーノが決勝点を決め、パルマに軍配が上がりミランのスクデットへの道はますます険しくなった。ミランにとっては85分にインザーギの決めた正当なゴールがオフサイドだとして取り消されてしまったのが悔やまれるところ。 ユベントスが苦しみながらもトリノとのダービーを制していたため、ミランにとっては優勝争いに残るためパルマに勝つしか選択肢はなかった。アンチェロッティ監督はいつもより堅実な中盤の布陣を敷き、ゲームを作るピルロをガットゥーゾとアンブロジーニがサポートする形に。セードルフ、ルイ・コスタ、リヴァウドはベンチからのスタートとなった。 チャンピオンズリーグ出場権を狙うパルマには出場停止の明けたフィリッピーニとムトゥが戻ってきたが、中田はこの試合欠場を強いられた。ムトゥとアドリアーノのコンビをブレッシャーノがサポートする。序盤は拮抗した展開となり、良いリズムでゲームが進んでいった。 前半4分にはムトゥが良いポジションからのシュートをゴール上に外す。6分にはガットゥーゾが惜しいクロスを上げたが、ボレーを狙ったインザーギの足は届かずわずかにかすめただけだった。ミランはのびのびとリズム良くプレーを展開し、両サイドをうまく使って攻撃を仕掛けていた。一方のパルマはアドリアーノとムトゥのスピードに全てを託していた。 ミランはさらに調子を上げ、19分にはアンブロジーニがエリア外から狙ったシュートがわずかに枠を外れる。23分にはパルマのディフェンスのミスに付け込み、シェフチェンコがジュニオールを抜き去ってシュートを放ったが、ボールはフレイの腕の中に収まった。これは危ない場面だったが、パルマも常にゴールを狙って鋭い攻撃を仕掛けていた。 29分にはムトゥのボレーシュートがわずかにクロスバーを越える。30分頃には再びパルマが主導権を握り始めていた。上がり目の位置のブレッシャーノとその後ろのラムシが攻撃を作る上での中心となっていた。アドリアーノだけがいまいち動きが鈍く見えたが、41分にはそのアドリアーノがフィリッピーニのパスからヘディングでジーダを脅かす。パルマのディフェンスはバランスが取れており、ミランはスペースを作って前に出るのに苦労していた。 45分にはマルディーニがブレッシャーノにエリア内でファールを犯したかに思えたが、アドバンテージが取られ、ムトゥが決定的なシュート。だがジーダがファインセーブで逃れた。ミランは息も絶え絶えとなり、ファリーナ主審のハーフタイムの笛に救われる形となった。 後半開始時にはシェフチェンコに代わってリヴァウドが登場する。後半5分にはセルジーニョが完璧なクロスを上げたが、足を伸ばしたインザーギのシュートは信じられないことにクロスバーの上を越えてしまった。アンチェロッティは頭を抱える。その1分後にはカルドーネのミスキックから再びインザーギに決定的なチャンスが訪れたが、ボレーシュートはゴールの横へ。 52分にはようやくパルマが反撃。アドリアーノの惜しいクロスだったがコスタクルタがなんとかクリアした。両チームは再び互角の戦いを繰り広げていた。60分にはピルロのフリーキックにリヴァウドが頭で合わせたが、完全にゴールの上。アンチェロッティは疲れの見えるピルロを下げ、セードルフを入れて中盤の強化を図った。試合は動かず、ファールで途切れる場面が多くなっていく。 70分にはアドリアーノのクロス気味のシュートをジーダがクリア。多彩なプレーを見せるパルマに対し、ミランは小手先だけに頼るような感じがあった。75分にはセードルフのシュートをフレイが倒れこみながらセーブしたが、セードルフは手を使っていたように見えた。 残り13分となったところで、突然闇から抜け出してきたかのようなアドリアーノがゴールを奪う。77分、ムトゥが得意のドリブルで左サイドを突破してあげたクロスにヒールキックで合わせてジーダを破った。ベッテガのゴールや、ロベルト・マンチーニがこの同じスタジアムで決めたゴールのようだった。 ミランも必死に反撃し、84分にはセードルフのシュートがフレイの横を抜けたがポストを直撃する。85分には同点ゴールが決まったかと思われた場面。アンブロジーニのシュートをフレイが弾き、インザーギが押し込んだが、主審はインザーギがオフサイドポジションにいたとしてゴールを取り消してしまった。実際にはインザーギはオフサイドではなかった。ミランの選手たちはこの判定に激しく抗議していた。 なんとか難を逃れたパルマはその後も歯を食いしばって守り抜き、ミランはスペースを作ることができなかった。終盤にはシミッチがこの試合最初のイエローカードを受け、パルマのプランデッリ監督は抗議のため退席を命じられた。 結局そのまま試合終了。勝ち点を取れなかったミランは首位との差が再び8ポイントに開いてしまった。パルマはチャンピオンズリーグが見えてきた。 ・ |
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4月3日 ブカレスト ヨルダネスクの心変わり ![]() 『私はデンマーク戦での大敗後はとても意気消沈していましたが、サンド会長との長い話し合いにより留まる事にしました。現在代表には多くの問題があることは知っています。私が辞める事で解決されるものではなく、ただ選手を苦しめるだけでしょう。とにかくオスロでのノルウェー戦が正念場で勝たなくてはなりません。』 しかしゲオルゲ・ポペスクの代表引退の意思は変わらないようです。一方、ユリアン・フィリペスクはもう一度召集に応じる構えをみせているようです。 ・ |
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4月1日 ブカレスト ラツの世界への扉は開かれるのか? ![]() 来期の移籍市場に向けてにわかに熱くなっている海外サッカー環境ですが、現在ルーマニア国内リーグ首位のラピド・ブカレストはいまだに海外クラブからのスカウトの熱い視線の中にいるようです。実際に先日のデンマーク戦にもラピドの選手を見ようといくつかのビッグクラブからスカウト陣がスタンド観戦していました。一番の目玉とされるラズヴァン・ラツはインテルから獲得の意志が伝えられ、280万から300万ユーロの用意があるといいます。 『いくつかは私の耳にも入ってきています。まだ噂段階なので何も言えませんがインテルは好きなクラブですよ。レコバは私のアイドルだし、一緒にできるなら素晴らしいことでしょうね。』 もう一人の注目はフローリン・ブラトゥで、いくつかのスカウトの目にとまりました。実際にもスパルタク・モスクワ、ロコモティブ・モスクワ、ディナモ・キエフからオファーがあると報じられています。しかしラトに関しては交渉に応じる構えを見せているラピドですが、将来性あふれるこのFWについては放出する気はないらしいのです。 『ブラトゥは現段階では放出しないでしょう。我々にはチャンピオンズリーグのチャンスがありますから。彼には今後もっと魅力あるオファーが来るチャンスもありますしね。』−ラピドのコポス会長 ・ |
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4月1日 スペイン コントラのミラン復帰への想い ![]() 『パオロはすでに生きた伝説ですが、クリスティアンも能力的には比べても遜色ないと思う。彼はパオロのように様々なポジションをこなせるし、どんな状況においても簡単に適応できる。私もミランへは戻りたい気持ちはある。しかし私が決められることでもないのです。』 ・ |
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4月1日 フランス 代表以外でも世代交代 ![]() 『ナントはもはや私を必要としていないということを私は受け入れた。フランスに残るか、スイスに戻りたい。』 今季は負傷などもあって出場機会が少なく、10試合4得点と構想外となりつつありました。移籍先としてはフランス国内の違うクラブか以前所属していたスイスのヌーシャテルかグラスホッパーになると自ら明かしている。噂としてだがアメリカのMLSも候補にあがっているようです。 ・ |
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