Romanian Soccer Today 2011.5
5月23日 ブカレスト

  2012年欧州選手権予選 第6試合ボスニア戦
  南米親善試合ツアー ブラジル戦・パラグアイ戦


代表メンバー発表

  
 本当にこれで最後になるんだろうかともはや狼少年の域に達したラズヴァン首切りマッチである欧州選手権予選、来月3日ボスニア-ヘルツェコヴィナ(ホーム)に加えて、南米への強行ツアー2戦(8日ブラジル戦、11日パラグアイ戦)に臨む代表メンバーが発表されています。

 とりあえずGKは固定の3選手で異論なし。DFではなんといってもキヴの引退が痛いところではありますが、大胆な世代交代およびケガで離脱しているときの印象で臨めばさほどダメージはないかと。首切りのための敗戦を望むならプラス要素にはなります。最低最悪の考えですが、もはやこの最悪論が国民の総意となったラズヴァンのここまでの成果です。

 あとはガルドシュを育てつつ、ゴイアンで乗り切り、ケガで静養しているラドゥがいずれキヴの抜けた穴に対して責任感を持つことを期待すればそう悪くはないメンツです。次の予選での理想形はサプナル−タマシュ−ラドゥ−ラツで、先を見据えて格下相手に・−・−ガルドシュ−ラドゥも良い。とにかくセンターであれ左であれラドゥの代表定着とガルドシュの経験向上が責務。こういう構想が先を見据えた視線であり、ラズヴァンがまったくやらなかったこと。もちろんこの構想はラズヴァンが去ってからのこと。ラズヴァンである以上、能力のある選手は伸びないし、戦術も一貫性もない、反旗を示す者さえいる。次回の普通以上の監督に望みを託す。

 ウイークポイントである守備的MFはついに、そしてまたもや遅すぎる英断でようやくフローレスクが落選。ここまで彼を起用してきた無駄な時間は戻らない。わかりやすく結果にも出続けた中で、ラストマッチに外すという行為に出てきました。批難はしたが、ここで外すことができるならもっと早く外すこともできたと思うとやりきれません。責任と覚悟のもとに解任まで使い続ける意思も欲しかったように思います。自身がラピド就任という就職先の可能性が固まった状況になって、ようやく周囲の声に賛同する行為は男として、またここまで好き勝手主張してきたことの形骸化が垣間見えて許せません。

 新参者ではステアウアの左サイド、ラトフリエヴィッチと共に優勝チームのガラツィからアンタルとジュジュが選ばれています。南米ツアーで試すのかはわかりませんが、好きに起用してください。いままで通りに。面白いのは将来性としては疑問の範疇にありながら、国内リーグでのファンタジスタとして常に召集の時点で国民からの待望論が上がっていたスンマルテアンが呼ばれました。今まで呼ばなかったくせに最終戦となるこの1戦で呼ぶのはもはやラピドのことしか考えていなく、代表はどうでもいいと思っている可能性が読めてしまいます。最終戦になって中盤の海外組4人一気に総換えみたいな。プラスに考えれば改心したかとも取れるいろいろな変更点ですが、もはやここまで彼を見てきた経緯があるので私には無理ですね。


 GK  所属 生年月日 CAP
 コステル・パンティリモン  FCティミショアラ 1987.02.01 (24歳) 11/0
 チプリアン・タタルシャヌ  ステアウア・ブカレスト 1986.02.09 (25歳) 3/0
 シルビウ・ルングJr  ウニベルシタテア・クライオバ 1989.06.04 (21歳) 1/0
 DF
 ラズヴァン・ラツ  シャフタル・ドネツク(UKR) 1981.05.26 (29歳) 74/1
 ガブリエル・タマシュ  WBA(ENG) 1983.11.09 (27歳) 55/3
 ドリン・ゴイアン  パレルモ(ITA) 1980.12.12 (30歳) 37/5
 クリスティアン・サプナル  FCポルト(POR) 1984.04.05 (27歳) 8/0
 コルネル・ルパ  オツェルル・ガラツィ 1990.01.16 (21歳) 3/0
 フローリン・ガルドシュ  ステアウア・ブカレスト 1988.10.29 (22歳) 2/0
 パウル・パップ  ヴァスルイ 1989.11.11 (21歳) 1/0
 I・ラトフリエヴィッチ  ステアウア・ブカレスト 1986.05.11 (25歳) 0/0
 MF
 クリスティアン・タナーセ  ステアウア・ブカレスト 1987.02.18 (24歳) 9/1
 ガブリエル・トルジェ  ディナモ・ブカレスト 1989.11.22 (23歳) 6/1
 ガブリエル・ムレシャン  CFRクルージュ 1984.02.13 (27歳) 5/0
 ダン・アレクサ  FCティミショアラ 1979.10.28 (31歳) 4/2
 L・スンマルテアン  ヴァスルイ 1980.03.13 (31歳) 3/0
 A・ボウルチェアヌ  FCティミショアラ 1985.04.24 (25歳) 1/0
 リヴィウ・アンタル  オツェルル・ガラツィ 1989.06.02 (23歳) 0/0
 ガブリエル・ジュルジュ  オツェルル・ガラツィ 1982.09.03 (28歳) 0/0
 FW
 アドリアン・ムトゥ  フィオレンティーナ(ITA) 1979.01.08 (32歳) 69/31
 チプリアン・マリカ  シュツットガルト(GER) 1985.10.02 (25歳) 46/14
 ボグダン・スタンク  ガラタサライ(TUR) 1987.06.28 (23歳) 7/1
 ロメオ・スルドゥ  ステアウア・ブカレスト 1984.01.12 (27歳) 3/0
 マリウス・アレクセ  ディナモ・ブカレスト 1990.02.22 (20歳) 1/0

5月23日 ブカレスト

  ポペスクも感謝するキヴの貢献

 クリスティアン・キヴの代表引退について、かつて黄金世代でキヴ同様のポジション、及び精神的支柱として君臨したレジェンドのゲオルゲ・ポペスクも驚きを隠せないようです。

 『誰にとっても驚きの決断だったのではないか。代表にとってかなり多大なダメージになることは容易に想像できる。代表の中で最も安定していて信頼できる選手を失うことになるのだから。しかし一般の人も彼がここまで残してくれた功績に感謝せざるを得ないだろう。決断を撤回してくれることをどこかに残しながら、彼の決断を尊重することになるだろう。今は彼に感謝しながら我々のような黄金世代、そしてそれに続く、キヴやムトゥのような選手が出てくることを祈るとしよう。』
5月22日 イタリア

  巨星堕つ!不世出のキャプテンであるキヴが代表引退

 黄金世代後の代表をここまで精神的、技術的にも引っ張ってきた偉大なキャプテンであるクリスティアン・キヴがついに代表から退くことを公式にFRFに通達したようです。よって6月3日のボスニア戦には彼の姿はないということになります。以下が協会に送られたFAXによる正式な声明になります。

 『私の人生において、常に心に留めてはいましたが、これ以上伸ばし伸ばしにすることが難しい時がきました。私はルーマニアへの敬意と尊厳を纏ってプレーしてきた代表チームから引退します。年齢からくるケガや、手術をようするようなアクシデントの影響も近年は感じています。この決断で私の一つの重要なキャリアが終わることになりますが、振り返って考えてみても誇り、名誉、そして感謝に満ちた人生でした。

 過去も今も、そしてこれからも私は最も情熱のあるルーマニア代表のファンの一人であり、キャプテンとしてチームにいられたことも名誉に感じています。12年間の間、代表という家族の中で、国歌斉唱の後に代表ユニフォームを着た自分がプレーし、ゴールを決める。常にルーマニア代表を支えてくれている人のため、そして自分のために体力尽きるまで走り続けた。自らの誇り、選手としての誇り、ルーマニア人としての誇りが強く原動力にもなっていました。

 この決断を下すのはとても難しかった。しかしこのことでルーマニア人でなくなることでもないし、代表選手をサポートしなくなるわけでもない。ましてや代表チームのファンであることを止めることでもない。私の心は国のことと家族のことを想っていますし、どんな状況に置いても変わる事はないでしょう。

 とにかく今はこれまでの私の代表人生を支えてくれた監督、チームメイト、協会、ファン、そして家族である妻と2人の娘に感謝するばかりです。

 進め、ルーマニア! ルーマニア人であることを誇りにして。』
−クリスティアン・キヴ


 その代表キャリア、人としての完成度から、これから失った重みというものを如実に感じさせられることでしょう。栄光に満ちた選手としての道のりは多すぎるので割愛しますが、2000年の欧州選手権で第2の黄金時代を感じさせる選手でした。ただ初期黄金世代と比較すると他のメンバーが充実していたとは言い難かったのが、やはりキヴ自身の本大会経験が2度の欧州選手権に終わった原因でしょう。ワールドクラスと言われたコントラ、ムトゥ共に結局はワールドカップに出れない世代になってしまったことが残念。世界的に忘れ去られていくルーマニア代表にあって、その存在をギリギリで繋ぎ止めていた個人の活躍に賞賛の言葉を送ります。

 台頭したころは崩れずにセンターバックとして32歳ぐらいまではイケルと想定できた選手なだけに正直なところ早い決断だとは思います。実際に下り坂になっているとはいえ代表クラスでは、そのキャプテンシーからもあと2年は十分どころか、核として機能したでしょう。しかしながら思い出してしまうのが、ポペスク、フィリペスクをベテランという名のもとに引っ張り続けた過去の過ち。キヴ個人としてやはり無視できないケガでの離脱の多さ。重要な試合で抜けるケースがちらほら出ていたことに、レベルダウン覚悟で若手への世代交代や経験値を取ったほうがいいのではとも思ってました。

 ただし彼のここまでの功績、特にその人間性を含めての信頼性には私も含めて多くの人は彼の決断を支持するでしょう。ましてや普通に考えてやるべき事や、避けなければいけないことがまったくの逆になっているラズヴァン政権においては、キヴを残しての若手教育などプランを立てても実現しないだろうし、期待の真逆になることは請け合い。正直言ってキヴをラズヴァン暗黒政権から抜け出させることができたことが救いです。あとたった1試合かもしれないですが
5月20日 ウクライナ

  ギオアネがキエフ退団へ

 その類まれなポリバレントな能力で認められてきた元ルーマニア代表ティベリウ・ギオアネは、代表拒否や脳梗塞といった様々な要因のために代表では思うほどプレーしていませんが、2001年に加入して数々のタイトルに貢献してきたディナモ・キエフを去ることになったようです。

 ギオアネは今期においてはケガの影響で公式戦には5試合ににしか出場しておらず、主にリザーブチームでの一員となっています。またショフコフスキ、ネシュマチュニーに次ぐベテランとなった事情からリーグの最終戦のイリチベツ戦がキエフでのラストゲームとなるようです。本来であればユーリ・セミン監督の構想外となっているギオアネですが、多くの関係者の後押しもあって後半からでも出場の機会が与えられる模様。本来のギオアネを知っている身としてはあまりにお慰みの状況ですが、ここは素直に承諾していただいた監督に感謝。

 『ここでは素晴らしい時間を過ごした。しかしまだ私の人生はここで終わるものでもない。年齢もあり、10年在籍したクラブを去るということで一区切りとというならば、ここで多くの人に感謝しておいたほうが良いだろう。私が多くの影響を受けたのはミルチェア・ルチェスクで、彼とはラピドでの6ヶ月しか一緒にいなかったが、若き私にとっては彼の姿勢が以後の長きフットボール人生に多大な意味を持ちました。私に対する助言、決して止まることのない勤勉さ、サッカーへの情熱。すべてがラピドの思い出と共に残っています。』

 
 10代でチェルナトと共に加入してすぐ1年目からチャンピオンズリーグに出場し、クラブの絶対的存在として欧州戦には通算30試合に出場。リーグとカップ戦でも3度ずつ栄光を味わっています。代表ではヨルダネスク政権時にその指揮官のスタンスに反旗を翻して長期拒否しつづけ、安泰とされたピツルカとの関係でも最終的には反目する状況があったと想像される状況だったため、その信念の強さが招く不器用さから「孤独の帝王」とも呼ばれています。またムトゥの能力を認めていながら、そのエースに対して苦言を呈することも定番となっています。
5月19日 ダブリン

  サプナルがクラブで栄冠を獲得

 近年はロシア、ウクライナなどの中堅リーグ優勝クラブや4大ビッグリーグの中堅クラブのご褒美となっているUEFAヨーロッパリーグの決勝がアイルランドのダブリンで開催されました。

 今回はベスト4の時点ですでにポルトガルのクラブが3つ勝ち残り、ルーマニアに関係することと言えば、一昨年のラツ、ミルチェア監督の率いるシャフタル、昨年のキヴ所属のインテルが念願のビッグイヤーに続くものとして、クリスティアン・サプナル所属のFCポルトが決勝にコマを進めているのが注目です。

 そしてめでたくFCポルトが同胞のブラガを1-0で破って栄冠を勝ち取りました。サプナルもシーズン通しての磐石スタメンとしてフル出場しています。おめでとうございます、と一応言っておきます。

 結果としてヨーロッパリーグでは15試合中11試合び出場、リーグでも圧倒的強さでリーグ制覇したクラブにあって19試合出場。欠場した試合はほぼ同能力を持ち合わせているアルゼンチン代表フシーレとの併用策であり、出場した試合はほぼフル出場。ただしこの間に行われた代表試合では9試合中7試合をケガで辞退しています。たまに出場するので潜在的拒否とまでは言い切れませんが、貢献しているかと言えばそれは否であり、明らかにクラブ優先の意向が見れます。

 嫌いな選手ではなく、その能力を買っているし、ペトレスク、コントラという世界的にも名を知られるほどの選手を生み出してきた右サイドの後継者として期待している部分が大きいです。だからこそ名選手としての責任も感じて欲しい。すべての選手は代表を崇高な場所として尊重するべきだと思うのです。代表の不調の責を押し付けている感もありますが、逆にラドゥ共に名を連ねていたらその成績はもっと良かったはずであると。

 代表を軽視するならかつてのギオアネのように男らしく公に代表辞退を示しなさい。常に請われているにもかかわらず、行きたい時にだけ行くというようなわがままを貫くならばどんなに有能な選手でも代表にはいらないでしょう。代表はそんなおもちゃみたいな軽々しい場所ではない。貢献という結果以前に代表にはせ参じる意思という時点ではフローレスク以下として現時点では見ています。
5月12日 オランダ

  ネシュが生命にかかわる重体

 オランダリーグのユトレヒト所属で、元ルーマニア代表のミハイツァ・ネシュが練習中にチームメートと衝突して、病院で運びこまれた結果、頭がい骨の基部にあたる脊椎骨を骨折していることが判明。10日夜に手術を受けたが、まだ長期的な回復見通しは立っていない模様。

 ユトレヒトのチームドクター、シモン・フーデヘブーレ氏は、『復帰時期については、数日後に分かるかもしれないし、数週間後、もしくは数カ月後にな るかもしれない。今は、ミハイの四肢の感覚が戻るかどうかを待つしかない危機的状況です。』と説明している。

 ルーマニア代表の公式戦にネシュが召集されたのは0-0で引き分けた昨年9月の欧州選手権予選のベラルーシ戦が最後ですが、3月の親善試合にも出場しています。代表では目だった活躍はできていないものの、クラブでは安定していることからまだ候補には挙げられる存在ですが、今はとにかく命だけの心配をしたほうがよさそうです。


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