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3月30日 ブカレスト 恥のない指揮官、義務を忘れる協会 ![]() 前回の予選での5位までは屈辱の5位とされましたが、今回の予選での5位ではもう慣れました。というか召集で偏りがあり、試合でも戦術が無い指揮官のもとでは至極当たり前の結果であります。逆にこの政権下で2位とかになっていたら奇跡であり、他のチームに申し訳ないです。現在の施策もない、将来へのプランもないチームがなんとなくや運がなかったという結果ではなく、妥当な5位です。 毎試合ごとに内容について期待が皆無の政権でこのボスニア戦で大きく期待されていたのが、まっとうな解任ということです。開幕2試合での失望でも解任は行われませんでしたが、ボスニア戦までということで我慢された方も多いことでしょう。またとにかく解任こそが次のステップと信じて、その解任に近づくために大好きな代表を毎試合「負けろ〜、負けろ〜」とジレンマに陥るような日々を過ごされた方も多いでしょう。 結果から言いますと、続投のようです。ここまで解任に向けた十分な結果として散々な成績を残し、ボスニア戦で完全アウトとなっても指揮官は辞任せず、協会は解任せずでした。それどころか厚顔無恥な指揮官は自ら導き出した史上最悪な結果のもとで「私が去る理由などない」と言ってのけている模様。 アルバニア、ベラルーシから勝点4を失い、ボスニア戦でも勝点3を失い、早期予選敗退が見えてきて「去らなくてはいけない結果を残した覚えがない」そうです。 『私はこのチームを2012年の本大会に導くために来た。順位表を見て、次にホームで行われるボスニアに勝てば可能性は広がる。その時から予選突破への道が再び始まる!だから、私が去る理由はない!試合中に"辞めろ!"コールは聞こえた。だが、それが私を傷付けることはない。その声が私をより強くする。』 勝つために監督に就任して、この結果を出したことはまったく覚えがないそうです。まぁ悲惨な結果ながらも残り5試合で挽回できるのは数字上は可です。なんといってもまだ半分の5試合消化ですから、5試合は残っています。ですがまだ半分の5試合で早期敗退の可能性が高くなっているのはなぜでしょうか。数字上と言った時点でほぼ可能性はないのが実情です。またそのミラクルを起こすにはそこまでの過程で土台が作られているチームだけが主張できるものでしょう。ここまでなにか上向きにしたことはあったでしょうか?下向きに下降し続ける能力であり、それを実践している指揮官の姿は常に見ていますが。 順位表のからくりでは、勝点3というのは1試合の勝敗でひっくり返る数字です。しかしこれが通用するのは3位に位置していて、単独2位のチームとの差が3という場面だけです。2位のライバルが他のチームに負けてもその恩恵にあずかることができます。しかし抜かなくてはいけないチームが3チームとなるとよほど順調にライバルAがBに負けて、BがCに負けて、CがAに負けるといった調整が必須です。一番良いのは勝ち抜く予想のボスニアが負けることより、3つ巴の中でドローで勝点を消費することです。 ボスニアが負けて喜んでいる一方で、勝った対戦相手は3ポイントを得るという事実。へたしたらベラルーシ、アルバニアが2位で終了なんてことも。ここにおいては全チームがフランスに負けて、ルクセンブルグに勝つと計算した方がいいでしょう。よってルーマニア、ボスニア、アルバニア、ベラルーシ間での各3試合の結果がそのまま順位となります。ボスニアが1試合少ないのでプラス3で10Pとして、ルーマニアは3連勝してもベラルーシ、アルバニアが他で2連勝すれば同勝点、ボスニアにいたっては2P届きません。まぁ3チームが1勝1敗とか、全引き分け、ルクセンブルグに引き分けとかいくつも可能性はありますが、大事なのは前提としたルーマニアの少なくとも2勝ということ。しかもそのうち2勝は3つ巴で勝点を伸ばすであろうチームから。要は複雑希少な他力本願なのです。過去ではボスニア、アルバニア、ベラルーシなんて最低限3連勝してからの話ではありましたが、今ではもはや夢物語なのです。ルーマニアは2勝できるのでしょうか。 おまけで過去の予選での経過と監督の状況を記しておきます。面倒ですので私の記憶のみで列挙してみたいと思います。たとえ負けた試合でもこういう過程があれば期待が持てるし、こういう経緯があればこそ「辞める理由がない」と言い張れるものだと思うのです。
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3月29日 ピアトラ・ネアムツ![]()
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3月29日 ルーマニア 底辺たるゆえんのラズヴァンという男 ![]() ここまで結果以上にそのスタンスが異常視されているラズヴァンですが、公式戦・親善試合を含めて、ここ8試合連続で勝ち星がありません。ルーマニア最大手スポーツ紙"ガゼタ"は過去の代表の様々な成績を紐解き、こう見出しを打ちました。 「ラズヴァン政権はルーマニア史上最悪の暗黒期」 まず、W杯、ユーロも含めた予選において、「序盤の4試合で勝利がない」というのは、ルーマニア代表の歴史において史上初とのことです。 ちなみに、その4試合の対戦相手はアルバニア、ベラルーシ、フランス、ボスニア。フランス以外は、6,7年前の代表だったら軽く蹴散らしていた相手だけに、弱体化が良く分かります。 他では、この1年半もの間、公式戦で勝利がありません。また、今回の予選4試合で2ゴールが最高。これも史上初。 続いては、上記で書いた8試合連続勝ち星なしの偉業。内訳はこうです。
ちなみに、最後の勝利はホンジュラス戦(3-0)です。オーストリア遠征での親善試合3試合をウクライナ、マケドニアと連敗した最後での勝利です。常にアメリカとメキシコ以外にどんな国が出ても出場レベルに相当せずに、W杯の地区予選枠の割り当て3枠は妥当ではないと問題視されているその3番目の枠を射止めたホンジュラスの本選直前のテストに勝った試合です。 ちなみに、連続勝利なしの過去最高は11試合。1970年のことで、この期間では監督が3人も替わったそうです。現在、ラピドのスタジアムに名を残すヴァレンティン・スタネスク、コルネル・ドラグシン、シュテファン・コヴァチ。 そう考えると、この時の協会は現体制よりも格段にスマートということも伺えます。勝ってない監督を替えるという至極当然のことをきちんとやってますので。 そして、2番目に長いのは9試合連続。しかし、これは1920年代と1930年代の記録です。今とは国土の広さが違う時代の話であり、本当に遠い昔。永遠に葬り去られてもおかしくない記録に、偉大なるラズヴァンが迫ったことでこの記録が甦ったのです!現在のラズヴァンの記録は史上3位です。ですが、上のように11試合連続勝利なしは3人もの監督で築いた数字。ガゼタは、「たった1人で8試合連続勝利なしを成し遂げたのはラズヴァン唯一人!」と称えています。要は監督を交代することの意義をわかっていない協会の問題の方が大きいとも言えます。 |
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3月26日 ゼニカ![]()
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3月25日 ボスニア 大一番にベストメンバーを組めないルーマニア ![]() 右サイドで仮病疑惑の一角であるサプナルがメンバー帯同もボスニア戦はコンディション不良で出場できない見込み。ラドゥも今回疑惑を払拭するかのようにフォローでキャンプに顔を出していますが、サプナルもまた帯同するもこのような結果であり、結局のところ厳しい見方かもしれませんが「事実」としてはクラブでコンスタントにフル出場、代表の期間になると急に不出場という図式は継続中。 そして仮病は無いにしてもクラブ共に代表でもしばしばケガで離脱するキヴがこの試合直前でも筋肉の痛みによりドクターストップがかかったようです。ASローマでもインテルでも年間のうち20試合ほどしか出場できず、計算できない存在にもかかわらず、その能力で価値を披露してきた存在ではありますが、代表では欠場が大きく結果に響いたこともあり、また大一番で繰り返されることからか、キヴに引導を渡して新たなコンスタント出場が可能な戦力を育てるべきとの話題は2006年頃から出ていました。代表の将来、キヴの年齢も考えてカウントダウンは近づいているでしょう。 最後に期待されて復帰したムトゥですが、本人も並々ならぬ想いで準備しているにもかかわらず、高熱を発症してチーム練習に参加できていないとのこと。大量の注射によって強行出場を想定されていますが、ズィクのプランが有力のようです。少なくとも万全のコンディションは無理のようです。 ・ |
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3月24日 ボスニア ムトゥの見慣れた反省会見 ![]() 『代表への想いは常に持っていたし、再び召集されることを願っていた。すべてはクラブでのプレーにかかっていることは知っていたし、自分でもその点はクリアできていたように思う。長すぎたサスペンションのため、重圧も感じてはいるが、これは代表である以上は以前から変わらない。今はチームのために貢献することしか考えていない。』 『ラズヴァンとは昨日、長く話し合った。今の代表の状況において求められていることや私自身のかつての過ち、そしてセルビア戦での愚行に対してチームにも謝罪を済ませている。自分の甘えによっての罪は繰り返さない。プレーでチームに貢献してまだ私が十分に機能するところも証明したい。』 |
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3月22日 ブカレスト![]() 2012年欧州選手権予選 第5試合ルクセンブルグ戦
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3月19日 ロシア ルーマニア代表をルーマニア選抜にする男 ![]() 現在のRFPL(ロシア・プレミアリーグ)が設けた外国人制限枠のための削減の対象となったようですが、とは言っても先発11人中6人まで外国人選手が出場できる規定になっていて、他の外国人ではモルドバ、ブルガリア(2人)、ウズベキスタン、ブラジル(2人)、コートジボワール、ブルキナファソの選手が残されています。つまりはロシアの、2部の、助っ人の9番目の戦力として、いてもいなくても一緒の存在として不要とされました。 しかし見る目のある人が見れば有能であるらしく、ルーマニア代表では絶対的にスタメンに名を連ねる存在のようです。70年代にドブリンを、80年代にバラチを、90年代にハジを、2000年代にはムトゥやキヴのようにファーストチョイスとされた代表の象徴は2010年現在はこのフローレスクとなっています。海外でも名を馳せている他の選手が交代される中で、また世代交代が叫ばれている中で若手をベンチに座らせたままでもフローレスクはスタメンでフル出場です。 見る目がある代表監督のラズヴァン・ルチェスクによれば彼は相当使える選手のようです。好調なチームであればそのような存在がいてもおかしくないですし、どん底のチームにあっても孤軍奮闘ならばお咎めもないでしょう。そして一歩譲歩してポジション的にサイドや補佐的な役割ならそれもたまにはあるでしょう。ちなみに彼のポジションは戦術の核とされる真ん中、攻守の要であるボランチです。ちなみにラズヴァン監督の試合で戦術を感じたことは一度もないです。
かつて第2政権でぬるま湯と揶揄され低迷ムードに陥ったヨルダネスクですら、2004年予選ではまだチームに貢献できつつもクラブとの事情からフリーになってしまったポペスク、イリエ、ストイカの召集を、「早くクラブを見つけてくれ」とのエールと共に諦め、直後に3選手ともにクラブを見つけてからめでたく召集に踏み切ったことが懐かしいです。確証はないのですが、おそらく「所属無し」の代表メンバーは歴代初のような気がします。 ・ |
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