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7月31日 イタリア ムトゥに賠償金23億円支払い義務の裁定くだる ![]() 広く知られているようにムトゥは2004年に所属していたチェルシー時代に薬物検査でコカインの陽性反応が出たため、同年10月に解雇されたムトゥはチェルシーから契約に対して違反をしたとして、またチームに損害を与えたとして訴えられていました。 しかしこのチェルシーからの訴えのタイミングは遅いものであって、イメージとしては当時としては選手生命は絶たれたとバッサリ斬りすてたチェルシーが解雇の後、@2年謹慎という予想の中で実際は短期とも言える7ヶ月の出場停止だけで済んだこと、A解雇したことからタダでイタリアのチャンピオンであったユベントスに拾われて、その年もスクデットを獲得してムトゥとユベントス双方がホクホク顔であったこと、Bユベントスは八百長により2部に落ちたものの、放出したムトゥの多額の移籍金を得て、ムトゥは復活の活躍を見せて世界有数の左ウインガーとしてもてはやされ、フィオレンティーナもそれによって上位に進出しUEFAカップやチャンピオンズリーグに出場する恩恵を得たという一連の流れから一人損をしたチェルシーの後付の嫌がらせにも見えてしまいます。コカインが発覚した後にチームに戦力外になりつつあったムトゥのストレス等に理解を示して解雇ではなく後々のフォローを見せるか、または事件発覚直後から賠償請求の意思を示していたならばここまで胡散臭いイメージは付かなかったとも思います。 でもまぁ、タダで捨てておきながら復活してその価値が急騰してからの腹いせで今更かよという点と、さすがにちょっと高すぎるだろという点は思いつつも、もう払うしかない現実ではあります。金満クラブでドライな感覚なチェルシーというのは当時からみんなが広く感じていたことであるし、それに対するイングランドに馴染めなかったとか、監督によって出場機会が削られてきているストレスなんかは多くのフットボーラーが経験することであるし、パルマでの1年目でアドリアーノ、ナカータとのトライアングルでリーグ屈指の評価を得て、プレシ−ズンではさらなる飛躍をとキャプテンにまで任命されながら金で動いた本人にも責任はあるでしょう。富豪のアブラモビッチがオーナーになり、チャンピオンズリーグ覇者のポルトからモウリーニョを招聘し、各国リーグからスター選手を「金の用兵」と揶揄される中でかき集めて次は誰が金に動かされるのかと注目の中でまさか最後の7人目にムトゥが決断するとは当時は予想もしてませんでした。 もう払うしかないですね。過去の過ちに対して反省した身とはいえ、あまりにバカげたことを起こしたのはムトゥ本人であることは覆しようのない事実です。当時のフットボール界を揺るがす大事件のインパクトとをいまだに覚えています。よりによって私が愛するルーマニア代表のエースが問題の渦中にあることの失望は、2006年W杯予選を戦う中での奮闘を裏切ったとさえ感じましたので。解雇からここまでの時間が償いではないでしょう。ここからがリアルにサッカーを汚した、ルーマニア代表を汚したことへの金銭を伴う償いの修羅の道のスタートなのです。すべては自業自得。多額であれども受け入れることも反省の一歩の意思表示ではないでしょうか。 ・ |
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7月29日 ブカレスト![]()
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7月7日 クロアチア チェルナトがキエフを離れハイデュクに完全移籍 ![]() チェルナトは07/08シーズンに出場機会が減ってきたキエフからハイデュクにレンタルされましたが、そこで司令塔として28試合8得点の記録を残し、UEFAカップでも4試合に出場していました。シーズン後にはクラブの買取金額200万ユーロが捻出できない懐事情に加え、チェルナト本人もこの活躍でキエフでの復活を掲げて戻っていました。ただし居心地の良さとファンの熱烈な引きとめには後ろ髪引かれる想いだったと公言していました。 しかしキエフで迎えたシーズンは元の木阿弥で06/07シーズンの12試合出場からさらに激減で、チャンピオンズリーグに1試合出場できたものの、結局リーグでは3試合に留まりました。これで8シーズン在籍したキエフでのプレーは諦めてようやく完全移籍でウクライナを離れたようです。3年契約。また移籍金やサラリーは噂のあったギリシャのラリッサの方が高いものでしたが、キエフはこれまでの功労の意味もあり、チェルナト本人の意思を酌んで送り出しているようです。 チェルナトはキエフで8シーズンを過ごし、129試合28得点でリーグ優勝5度、カップ制覇3度に貢献しています。なんといっても背番号10番を背負い、絶対的司令塔としてチャンピオンズリーグでは6度出場して予選も含めると31試合7得点の記録を残しています。若くからギオアネと共にウクライナに活躍の場を求めて、チェルナト=ディナモ・キエフというイメージはその全てとなりました。ギオアネと違い代表においては攻撃的ポジションに不可欠なスピードが衰えたため、もはや復帰は難しいでしょうが余生を輝かせて欲しいものです。 ・ |
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7月5日 クロアチア チェルナトの夢破れて山河あり ![]() 20歳の頃ほぼ同時期に入団した代表のティベリウ・ギオアネと共に若手ながらウクライナの強豪を引っ張り、10番司令塔として05/06シーズンまでは3度のリーグ優勝2度のカップ制覇に続き、4年連続チャンピオンズリーグに出場。代表でもポジションがらハジの後継者としてタクトを振るい将来が期待されましたが、以降はケガに苦しんだ影響から出場機会が激減。いちおう2度のリーグ優勝とチャンピオンズリーグのメンバーではあったものの、昨季はクロアチアのハイデュクにレンタルされ、再起を図った今期も3試合の出場に留まりました。 ハイデュク在籍のシーズンはそれなりの活躍と出場機会にも恵まれてファンにも愛されましたが、惜しまれつつキエフでの再起を選択。現在キエフはギリシャクラブとの接触を図っていますが、本人はハイデュクに戻ることを望んでいるようです。 また、ロシアリーグ中堅で抜け出せない状態にある代表のラズヴァン・コチシュは同じくクロアチアリーグの名門ディナモ・ザグレブから興味を持たれているようです。ただ移籍が実現する可能性は薄いようです。 ・ |
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7月3日 イタリア ユース代表アリベクがインテルのプリマヴェーラへ ![]() 18歳ながらファルルのスタメンとして活躍したアリベクはクラブは結局降格してしまったものの、これまでのユース各世代でイタリア、スペインなどの強豪相手にゴールを連発してきたことが早くから注目され、欧州では若き才能として広く知られていました。インテルは昨年ルーマニア国内から獲得したクリスティアン・ダミヌツァがプリマヴェーラで十分な活躍を見せていたことから、アリベクに対してもすでに昨年からスカウトを送っており、満足いく交渉となったようです。 国内や他クラブでしたらスタメンでの出場も見込まれる選手ですが、インテルということもあり当分はダミヌツァ同様にプリマヴェーラで経験を積ませるようです。インテル。ブランドという名を選んだ鶏口牛後と揶揄されてもいますが、まだ若いのでそれほど大きなギャンブルではないでしょう。 ちなみにダミヌツァは昨季プリマヴェーラから引き上げられ代表にまでブレイクしたダヴィデ・サントンに次いでAチームに合流する逸材とまで評価を上げています。ただし補強は各国の核を引き抜いてくるインテルにあって運の要素も必要になるでしょう。それでも昨季セリエBで3位の成績を収めて昇格プレーオフを控えているリヴォルノが無事にセリエA見参となれば、レンタルでダミヌツァがセリエAデビューとも噂されています。 ・ |
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7月2日 セルビア 何ヶ月もつか?ストイカのセルビア挑戦 ![]() 昨季はそれまでブラショフの司令塔だった元代表のカタリン・ムンテアヌがシーズン半ばで重傷を負ったことから、浪人中のストイカに白羽の矢が立ちましたが、ムンテアヌは早期に復帰。ストイカは結局1試合も出場することはありませんでした。ポジション的な制約もあったでしょうが、おそらくいつもの病気であるメンタルの弱さから放漫な態度でクラブには馴染んでいなかったと思われます。さすがのラズヴァンも使いこなせなかったのでしょう。 ストイカは10代からベルギーの強豪アンデルレヒトやブルージュで活躍し、司令塔として8シーズンで3度のリーグ優勝、チャンピオンズリーグを4大会経験し、UEFAカップも含めると25歳までに国際試合で52試合9得点という立派な成績を残したルーマニア代表の将来の担い手でした。代表でもちょうど台頭してきた頃がハジ黄金世代の終焉だったこともあり、「ハジ2世」と呼ばれた初の選手だったような気がします。父親もステアウアや代表でプレーしたこともありサラブレッドとしての資質は申し分ないものがありました。その2世という響きにつぶされることはなかったのですが、早くから名声を得てしまったことに精神の成熟が追いつかず、活躍していたからこそそれほど非難は浴びなかったアンデルレヒトやブルージュともクラブを去るときはケンカ別れ、その後は才能はあるが問題児というレッテルに中堅クラブしか名乗りを挙げず、入団はするもクラブの規模と自身のプライドのバランスが取れずにわがまま放題の渡り鳥と化しました。06/07に所属したベルギー中堅のガンでシーズン通して24試合に出場しリーグ4位に押し上げた時が復活の最後のチャンスだったように思えます。現在のところその性格が直ればという条件付きの選手であり、しかもその可能性はゼロに等しいので悔やまれます。 ・ |
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