偉人伝
ミルチャ・チェルバトラン
ミルチャ老公。ワラキア公国の王様で、ドラキュラ公のおじいさんに当たります。在位は1386年〜1418年。 国内政治では有能な君主として産業を発展させ、ハンガリーやポーランド、モルドヴァなどの国と同盟を結び、バルカン半島に進出してきたオスマン・トルコ帝国と対立しました。 公は勇猛果敢な戦士であり、戦術にも優れていて、何度もオスマン軍を撃退します。ドイツの年代記にはキリスト教の君主のうちで一番有能な君主と賞賛されています。 しかし、兵力の差はどうにもならず、ワラキア公国はオスマンの属国になりました。
シュテファン・チェル・マーレ
シュテファン大公と言われます。ルーマニア人が尊敬する人、偉い人として真っ先に挙げる人物の一人です。外国と27度戦って24度勝ったといわれています。
シュテファン大公はモルドヴァ公国の王様。在位は1457年〜1504年。名君とうたわれました。モルドヴァ公国はロシア、ポーランド、ハンガリー、オスマン・トルコなどの強国にはさまれた小国です。このため、これらの国からの侵略を阻止するため何度となく戦争をし、何度も勝ちました。
シュテファン大公は戦に勝つたびに教会や修道院を建てました。今も残っているスチャヴァ近郊の修道院のいくつかは大公が建てたものです。
ヴラド・ツェペシュ
吸血鬼・ドラキュラのモデルとなった人物として有名です。ヴラド串刺公と呼ばれています。ヴラド公はワラキア公国の王様で、1448年と1456年〜1462年、1476年と三度の王となり、三度目の在位の時、オスマンとの戦で戦死しました。
串刺公というあだ名がついたのは、ヴラド公が捕らえたオスマン・トルコの兵士たちを大きな杭で串刺しにし、城の周りに並べ、オスマン軍を脅かしたためです。このためヨーロッパ各国でも悪逆非道な王様というイメージができました。
ミハイ・ビテアズル
ミハイ勇敢公。17世紀初頭にわずかな期間だったが、現在のルーマニアとほぼ同じ地域(モルドヴァ、ワラキア、トランシルバニア)を支配しました。このため、ミハイ公は祖国統一の象徴として今でも国民の尊敬を集めています。
ミハイ公の在位はワラキア公国が1593年〜1601年、モルドヴァ公国が1600年、トランシルバニア公国が1599年〜1600年。しかし、反対派のため王位を追われ、最後はミハイ公の勢力回復を恐れたオーストリア皇帝に暗殺されました。
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