サイトの管理者たち

 かつて私がDRから受け継いだルーマニア代表応援サイトの種子は、コンツァという有望な若手に引き継がれたことで、絶えることなくその灯をともし続けました。これで私も悠々自適なスローペース更新を経て半年前に閉鎖していましたが、このたび情けないことにコンツァがラズヴァンのように将来の芽を育てることなく引退。日本における灯を絶やしてはいけないという絶対的命題と、かつてスタートダッシュの怒涛更新により、DRのモチベーションと共にサイトの存在意義を奪ってしまったことへの償いから、復活いたします。ただしもはや10年が経過してかつての時間的余裕が取れないのはコンツァ同様。よって勝手ながら分担制による各個負担削減にてギリギリまで続けていこうと思っています。時間的余裕のある若手が出現した時には、全てのデータを引き渡すと共に引退したいと願っております。

ねばる闘魂
ヨンクマ 役職:海外選手担当
マニア歴:1990年〜 好きな選手:T・ギオアネ
このサイトの元々の管理人だが、マイペースすぎる更新頻度ともはや尽きかけた闘志に対抗するべく、合議制での更新という荒業を展開した張本人。サイト閉鎖宣言しておきながら不死鳥のように何度も蘇る様は有名であり、そのスタンスは美しくもあり、モルドヴァンの引退撤回よりも醜いと賛否両論。ちなみに「ヨンクマ」でググるとペ・ヨンジュンを模したクマのぬいぐるみであることが最近発覚。そっち系の人だと思われているなら恥ずかしくてしょうがない。
ルーマニア通の麒麟児
コンツァ 役職:国内選手担当
マニア歴:2001年〜 好きな選手:C・ラドゥカヌ
当初はヨンクマサイトの一ファンだったが、「俺の方がもっとうまくルーマニアサイトを操れるんだ」との情熱と、ルーマニア語を理解できる能力を武器に新規サイトを立ち上げたライバル。共存を無視した海外選手の猛烈更新によりヨンクマを激昂させたことから、国内リーグ偏重に転換して長らく国内のファンを喜ばせるも、ついには10年の歴史に終止符を打った。ちなみにたびたび博多から関東までお土産の明太子を持ってわざわざヨンクマに会いに来るぐらい溺愛している。
一人でも呟き続けるウォッチャー
ピロシキ 役職:代表試合担当
マニア歴:1994年〜 好きな選手:D・ニクラエ
このサイトの全盛期にはおそらく交流はなかったと思われるが、例のつぶやきシステムでヨンクマを発見して以来、配下に収めるべく虎視眈々と狙っていた一人。もはやコンツァですら試合を観戦しなくなった中でも一人淡々と実況をつぶやき続けていたことから今回めでたく白羽の矢が当たった。全国に潜む94年ワールドカップ組でもあることから、一般的な黄金世代情報は網羅していると推測される。
偏ったキングダムサッカーの申し子
すんまる 役職:掲示板管理担当
マニア歴:1996年〜 好きな選手:F・チェルナト
詳しくは知らないが、話題の中にグルカが出てくることから96年組と予想される事情通。主に掲示板に出没してくるが、大半が酔っ払ったあげくの殴り書きなので、内容が理解に苦しむことも多々あり。ヨンクマと同様に古き良きキングダムサッカーこそが最も美しいサッカーだと公言する。ただし賞味期限切れの選手でもゴリ押ししてくる面があるので、かなりの頑固者と思われる。
黄金時代を知り尽くすレジェンド
DR 役職:精神的支柱
マニア歴:1990年〜 好きな選手:G・ハジ
コンツァがヨンクマを手本にしたように、ヨンクマが手本にした「DACIA ROMANIA」という当時の日本最大のルーマニア代表サイトの管理人。ヨンクマ同様に90年からの信奉者であるが、ヨンクマが日本へ伝わるわずかな雑誌媒体の情報に満足していた頃、親善試合のたびに雑誌で結果が掲載される前に編集部に電話して直に内容を問いただしていたというツワモノ。また96、98年全試合現地観戦とか、強力な人脈を生かしたコネにも秀でており、何人かの選手とのツーショット写真も収めていたはず。また最大の栄誉としてはゲオルゲ・ハジ引退試合にも現地に赴いて観戦しており、国内最大のスポーツ紙である「PRO SPORT」の試合当日のハジ特集の紙面の中で、「ハジを敬愛する日本の若者がブカレストを訪問」として一面にでかでかと写真入りのインタビューを含め、いかにこの若者がルーマニア代表を応援してきたかという経歴も特集された。売り切れ続出で現地でも2部しか手に入らなかったお宝の新聞だが、友情の印にと1部がヨンクマに進呈され今でも大事に保管されている。2002年のスロヴェニアとのプレーオフ第1戦に掲示板を通じて初めてヨンクマとの交流が持たれたが、楽観視の中で2戦目の敗退。その悲しみの共感を通じて以降、年1度の新宿でのしゃぶしゃぶが通例となった。また2004年チェコ戦、2006年オランダ戦はスポーツバーで観戦し、特に2004年ユーロ大会予選敗退後にフジTVで生中継された日本との親善試合では、日本代表ユニフォームを身にまとったファンが60人ごった返す中での渋谷のスポーツバーで、巨大スクリーン前に陣取ったルーマニアユニフォーム姿の二人の日本人の姿は異質で、ムトゥの先制弾に立ち上がって絶叫する非国民に対する殺意の視線は今でも語り草となっている。ただしルーマニアの低迷が続いていた2007年以前あたりに代表への熱がトーンダウンしたというのは聞いており、また双方のプライベートの多忙とDRの3年の海外転勤が重なり(現在は帰国しているはず)、2008年本大会前に連絡は取っていない。どこかでルーマニアの栄光は祈っているはずなのは間違いない。